中学の頃 |
モジュラーステレオ
ラジカセ時代 |
ラジオのFM放送からラジカセに録音して音楽を楽しむようになる。
それに伴い「週刊FM」を購読し始め、そこで長岡鉄男氏の連載記事と出会う。スピーカー工作の記事、Q&Aなどで興味を持つ。
資金・材料手配・知識不足などの問題により製作できずにいました。 |
1981年 |
YAMAHAのレシーバー
TechnicsRS-M255X
SONY PS-X2購入
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アルバイトで貯めたお金でYAMAHAのレシーバーとTechnicsの
カセット・デッキ購入。中古のSONYフルオート・プレイヤーを友人から売ってもらう。ようやく本格的にAUDIOをスタートできる。 |
1982年 |
最初の自作
20cm密閉型スピーカー一見スリットダクトのバスレフ・
ラウンドバッフル・バナナプラグ
対応のターミナル使用
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親友宅の壊れたテレビの20pユニットで12o合板を使い密閉型スピーカーを作成しました。当時の私の知識と工作可能な範囲で、知人から貰ったコンデンサーによる2WAY化やとのこの削り不足による塗装剥がれなど悪戦苦闘を強いられました。しかし工作の楽しさを体感する。 |
1983年 |
ONKYO
A-817RS
Aurex XZ90
Technics 5HH10変更
TRIO LS-800購入
LAXKIT A503着手
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初期のたて型のAurex
XZ90CDプレイヤーとONKYO
(CDセレクター付アンプ)TRIOスピーカーの中古(あこがれのLS-1000の弟機)を購入。
オリジナル密閉スピーカーのツィーターをテクニクスの5HH10に変更。
友人の先輩に貰ったTEACのオープンリールでエアチェックに明け暮れる。ベットには10cmフルレンジ2発入れて、お気に入り洋楽でお目覚め
ラックスキットのデジタル・シンセサイザー・チューナーにトライする。 |
1986年 |
PIONEER
CLD-01
SANYO SVH-RH40
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AurexXZ90が2回の修理を経て3回目の故障にて諦める。代替品PIONEERコンパチ・プレイヤーSANYO
HiFi ビデオデッキ購入。 |
1988年 |
長岡スピーカー
との再会 |
会社の方(師匠)にスキーに誘われ、意気投合した帰りにお宅へ
お邪魔したおりに、長岡鉄男先生設計のD-55を発見しました。 |
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師のシステム進化 |
彼はホームシアターを増築、ネッシーU・リアカノン・スパイラルホーン
を作製し私を煽る。 (三管式プロジェクター、P-550、JBL4344など入手) |
1994年 |
Accuphase
E-405 TRIO
110057 |
師匠の友人からE-405中古で購入。馴染みのショップから
TRIOの昔の高級オーディオセットの3WAY
SPを譲られる |
1995年 |
DENON
DCD-S10 |
他のお客のキャンセル品で超格安で入手。S10Uの発売直前だった。 |
1996年 |
DENON
DRS-810G
SS-66モアイ製作 |
18年連れ添ってきたデッキ
が壊れ購入する。今思えばMDの変換期??
コンデンサUΣ0.47 コイル空芯L2.8 |
1997年 |
D-10バッキー改製作
オリジナルSP
16F GRAVE製作 |
18oパイン集成材・6N-FE108S・Technics 5HH10・トリテック0.33μF
無印良品ダイトーDS-16F\1,500ダブル・バスレフ・フロア型
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1998年 |
D-83フラミンゴ改製作 |
FE83使用12o版に設計変更。翌年6N-FE88ES\8,800に交換。 |
1999年 |
オリジナル SP BS-7DX |
ダイトーAR-7DX\1,000を使ったブックシェルフを製作。
後に長岡先生の作品の中からそっくりなBS-89を発見。 |
2001年 |
VICTOR JL-B44購入
DENON DL-55 入手 |
ヤフオクでADプレーヤーなんと\5,500で購入。
20年ほど前の物を未使用で購入。プレーヤーより高値となる。 |